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過去は私にとつて苦しい思ひ出である。過去は焦躁と無為と悩める心肉との不吉な悪夢であつた。
月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は青白い幽霊のやうな不吉の謎である。犬は遠吠えをする。
私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを追つて来ないやうに。
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萩原朔太郎
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月が出た、
丘の上に人が立つてゐる。
帽子の下に顔がある。
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幼年思慕篇
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まつしろい女の耳を、
つるつるとなでるやうに月があがつた、
月があがつた。
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幼童思慕詩篇
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しばしはなにを祈るこころぞ、
ひとり夕餉ををはりて、
海水旅館の居間に灯を点ず。
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くぢら浪海岸にて
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併し此等のことは、私がここに拙悪な文章で紹介するまでもないことである。見る人が、彼の芸術を見さへすれば、何もかも全感的に解ることである。すべて芸術をみるに、その形状や事実の概念を離れて、直接その内部生命であるリズムにまで触感することの出来る人にとつては、一切の解説や紹介は不要なものにすぎないから。
要するに、田中恭吉氏の芸術は「異常な性慾のなやみ」と「死に面接する恐怖」との感傷的交錯である。
もちろん、私は絵画の方面では、全く智識のない素人であるから、専門的の立場から観照的に氏の芸術の優劣を批判することは出来ない。ただ私の限りなく氏を愛敬してその夭折を傷む所以は、勿論、氏の態度や思想や趣味性に私と共鳴する所の多かつたにもよるが、それよりも更に大切なことは、氏の芸術が真に恐ろしい人間の生命そのものに根ざした絶叫であつたと言ふことである。そしてかうした第一義的の貴重な創作を見ることは、現代の日本に於ては、極めて極めて特異な現象であるといふことである。
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萩原朔太郎
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